BBÖ 214.07
BBÖ 214は、急行列車用に開発されたオーストリア史上最大の蒸気機関車で、当時欧州では最も強力で最長の連接棒が付いた機関車だった。試運転では155km/hの速度に達したという。
1927年に旧オーストリア連邦鉄道(BBÖ)が一時的に電化を停止したことにより、Westbahnのウィーンーザルツブルグ間に重量級の急行列車を牽引する蒸気機関車が必要になった。
このため3気筒エンジンの114.01(1929年に形式指定)と2気筒エンジンの214.01(1928年に形式指定)の2つの機関車を試験して、最終的に214を選択した。
製造は、1869年創業のフロリッツドルフが担当し、1931年までに6両、1936年までに6両の計13輛が誕生した。
214は、ウィーンとザルツブルグ、ウィーンとパッサウ間の急行列車に使用され、運転は110km/hで行われた。後期型(214.8-13)は120km/h。
全長は、22580mm。高さは4650mm、幅は3150mm。車輪配置は、1 'D2' h2。空重量は107t/114tで運転重量は118t/123.5tだった。ボイラー圧は15 bar、軸重は18t。動輪径は1940mm、先輪および従輪径は1034mm。
BBÖは1938年にナチス・ドイツによるオーストリア併合でドイツ国営鉄道(DR)に一時編入された。この時214はBR12に改称された。
第二次世界大戦後の1945年8月、DRからオーストリア国営鉄道(ÖStB)に分離。その後の1947年にはオーストリア連邦鉄道(ÖBB)に改称し、12輛が引き継がれた。
1952年にWestbahnが電化されると、1953年にSüdbahnに移動し、ウィーン、フィラッハ間に使用された。しかし、Semmering区間での厳しい条件、急カーブ、急勾配により激しく摩耗が目立つようになった。
製造されてからまだ20年ほどの新しい機関車なので、他の線区への移動も考えられたが、重量が重いこと、また軸重も大きいことから使用できる線区が限られ、近隣諸国の電化も進んできたことから、残念ながら1961および1962年に廃棄されてしまった。
12.10は、唯一オーストリア鉄道博物館に残され、最初は保護されたボイラーハウスにおかれていた。1970年代には、他の歴史的に重要な蒸気機関車(310.23を含む)と一緒に、ウィーンの技術博物館の機関車公園の記念館として整備された。
1999年に技術博物館の再編成の過程で機関車公園の解散後、12.10はニーダーエスターライヒ州(Niederösterreich)の鉄道博物館 Strasshof に移動し、静態保存機として展示された。
1985年、オーストリア鉄道歴史協会(ÖGEG)は、ルーマニア国鉄から機関車142.063を購入した。これは1939年の214のライセンスコピーされた機関車でした。この車両は、オーストリア鉄道の規格に合格できるものであったので、12.14(本来は13号機までしか無かったので、架空ナンバーとなる)を付けて、動態を目指して修復が進められたが、2007年にボイラーの期限が切れ、現在も復活されていません。
HOのモデルは、LiliputとLemaco、Westmodelから発売されていて、特にLiliputはこの形式を得意としていて、今までに10輛発売している。
当社は、この形式を4両所有。ここでは、一番最後に入手した、214.07を紹介する。
製品番号は、L101235。発売は、2002-2006年。
動力系は、テンダーモーター、テンダードライブで4軸のうち本体に近い側の1-2-3軸がギア駆動、一番後ろ4軸目はフリーである。そして1-3軸の両側がトラクションタイヤとなっている。
集電は、テンダーの1-2軸両側と、動輪4軸全部の両側から収集していてポイント部分でも引っかかること無くスムーズに走る。
ライトは、前後とも進行方向のみ2灯点灯する。
動輪はカーブのスムーズな通過のために2軸と3軸は上下に可動、左右には1軸と4軸はほぼ固定式で、2軸は左右に2.5mm、3軸は左右に3.0mm移動できる。
全体の重量は636gとかなり重い。本体とテンダーは専用の板状に4本のリード線が埋め込まれたタイプのドローバーで繋がっていて、基本的には半固定として扱うようになっている。
後方視界のため、テンダー上部サイドはわずかに凸型だ。
当社では、2004年4月に発注、7月に納品された。