ÖBB 655.393
ÖBB 655 は、元 Preußische(KPEV) G 7・1で、勾配区間の貨物牽引用として1893年から1917年の間に計1202両製造された。
最初のグループは、1893年から1909年に1002両製造されPreußischeに納品された。
第2のグループは、第1次世界大戦のとき、シンプルな構造の機関車が必要になり、1916年-1917年の間にさらに200両製造された。
標準軌の全長16613mmで、1250mm径の動輪が4つのD型。先輪と従輪は付いていない。テンダーは固定3軸だった。
ボイラー圧力は12kg/㎤、出力660ps、最高速度は45km/h。
第1次大戦後、142両がPKPに、フランスに103両が移された。
DR(Deutsche Reichsbahn)時代では、Preußische から680両が移行し、1925年に形式55とし、車番を付け直した(1-660)。1935年にはフランスとザールの鉄道から計14両入り、661-674となり、1938年にはリューベック - ブーヒェル鉄道から3両移行して681-683の番号になった。
第2次世界大戦中には第1次大戦後に納入された中から105両がDRに移行。さらにリトアニアから5両移行し、55 274と55 691-694の番号になった。
第2次大戦後もDB(Deutschen Bundesbahn)では貨物輸送に使用されたが、1957年までに引退した。DR(Deutschen Reichsbahn)では、1966年に最後の55 642が引退して終焉となった。なお、1964年に引退した55 669はドレスデンの交通博物館に静態保存されている。
第2次世界大戦後に55 196、393、400、493、553の5両がオーストリアの領土に残っていた。1950年に引き継がれた55 553を除いた4両は、ÖBBに組み込まれ、形式名称を655とした。(車番はそのまま)これらはStadlauに所属し、貨物輸送に使われたが、1957年に最後まで残っていた55 393が引退して終焉となった。
モデルは、Dolischo Sondermodellel 製で、製品番号は、95686。シリアルナンバーは219。元(オリジナル)は Piko製で、Dolischoにおいてなんらかのディティールを加えたものらしいが、どの部分に手を加えているかは定かでない。
駆動はテンダーのみで、動輪はフリーである。テンダーの両端2軸4タイヤがトラクションタイプ。中央の軸はトラクションタイプではないがギアにて駆動はされている。
ライトは進行方向の前照灯2灯がLEDにて点灯する。
なお、集電はテンダーおよび本体の動輪からも取っているため非常に安定した走行をする。本体とテンダーは5色に分けられたケーブルを内蔵したドローバーにて半固定されているので、箱などに収納する場合は繋がったままで行う。
最後の写真は、他の大型機と較べたもの。奥から52.3517、659.06、659.23、655.393。
当方では、2006年1月に発注。納品は、2007年6月だった。